| 《あとがき》 渥美饒兒 事件以来、十五年も過ぎているにもかかわらず本書を書くきっかけとなったのは、裁判長から「仮面を被った鬼畜……」と言わしめた残虐非道な事件が、少年たちの「楽しかった」「面白かった」「何も考えていなかった」という供述によるものと知ったからである……と同時に、〈女子高生コンクリート詰め殺人事件〉が、一九八〇年後半から突如として増えはじめた少年犯罪の象徴的な事件であり、再度、検証する必要があると感じたからだ。 そこにはバブル経済崩壊が無縁だとは思えない。狂乱した時代が終焉を告げた時、大人の心が冷えきると同時に、少年たちの心にも快復することのできない空洞が生じたのかもしれない。 本書で取り上げた事件以後、〈おやじ狩り事件〉〈神戸小学生連続殺人事件〉〈栃木リンチ殺人事件〉〈愛知県豊川市主婦殺人事件〉〈佐賀高速バスジャック殺人事件〉〈歌舞伎町ビデオ店爆破事件〉と、立て続けに凄惨かつ残忍な少年犯罪事件が次々に起きている。 いずれも、これまでの非行少年観では捉えることのできない金品目的や時代への反逆行為とは一線を画して、〈被害者〉と〈加害者〉との接点のない事件が多い。 それらは犯罪の形骸化そのものに対する挑戦のようであり、〈快楽・劇場型〉と称される非行と死が直結した無軌道で通り魔的な狂宴犯罪である。 驚くべきは、二000年五月に起きた〈愛知県豊川市主婦殺人事件〉だろう。 自らが通う高校近くの見知らぬ家に侵入して老女を殺害して逃走――。逮捕後、警察官の取調べに対して「人を殺す経験がしてみたかった」と供述し、〈佐賀高速バスジャック犯〉に至っては酒鬼薔薇聖斗を神のように尊敬し、一日前に起きた〈豊川主婦殺人〉に対して「先を越された……」と残念がったという。こ れらの犯罪が少年法が適用される最後の歳である〈十七歳〉に起きた犯行なのだ。 事件発覚当時、被害者である女子高生は、非行少女の烙印を押されて顔写真入りの記事を掲載され晒し者になったにもかかわらず、加害者四少年の人格は〈少年法〉の下にマスコミに発表されることはなかった(週刊文春のみ実名公表)。 陵辱の果てに殺害された少女の身元が公にされ、裁判官をして鬼畜といわしめた加害者が手厚い人権保護を受けたのである。 現在〈女子高生コンクリート詰め殺人事件〉の加害者のうち三人は、すでに刑期を終えて社会復帰を果たしている。誤解のないように申し添えるが、本書はすでに刑期を終えた人間に対してさらなる断罪を下そうとするものではない。 子どもたちは、今、先の見えない世の中に苛立っている。いや、痛みも感じない無感覚の闇の中で全てを放棄しようとしている。それは私たち大人には決して理解することのできない異次元世界なのだろうか。 改めてこの事件を振り返ってみた時、残念なのは惨劇までの過程を食い止める機会は幾つもあったということであろう。少年たちは突然にこの凶行を行なったのではない。彼らが凶行を行なう人生の中で、家庭が、友人が、学校が、警察が、一人の人間として真剣に身体を張ってその役割を果たそうとすれば、こうし た事件も未然に防がれたと思われるのだ。 このことは本件のみに留まらず、近年増加する少年犯罪に共通することのように思われる。少年事件が起きるたびに、家庭の責任、学校の責任、社会の責任にされる。いつから日本は人間不在の国になってしまったのか。 一人一人の人間が、その場での自分の役割に責任をもつことがなければ、こうした事件の再発と虚しい責任のなすり合いは、これからも続くことであろう……。 |