|
行き過ぎた現代文明を批判する小説が書けないだろうか…。
5年前よりそのような妄想に取り憑かれていた。
しかし未熟な私にはそれを描ききることはできなかった。
《風景が突如新鮮に》
ある日、私は動物園に出かけた。休日で何もすることはなかった。
私は漫然と動物園の中を歩き回りながら半日を過ごした。そして
猿たちの檻の前に差し掛かった時、見慣れないはずの動物園の
風景が異化したのだった。私はその時、構想倒れしていた自分の
小説を思い出した。この動物園で飼育されている動物たちは、
文明社会の中で管理されている人間と同じではないだろうか…。
動物園全体をタテ糸に、類人猿を飼育する人間の目をヨコ糸にして
文明批判ができないだろうか。幾度となく動物園に足を運び、また
図書館にて納得ゆくまで資料を調べた。私には類人猿(ゴリラ・チン
パンジー・オランウータン)のことも、飼育係の業務内容もまったく知識
がなかったからだ。小説に行き詰まるたびに動物園を訪れた。
猿舎の前で途方にくれ、佇んでいた私を逆に救ってくれたのも、また
猿たちだった。彼らは作品の進むべき方向性を無言のうちに示してくれた。
《告発の唯一の方法》
私は今回の作品を書き進める上で、ある実験を試みた。
主人公である飼育係を世の中から逸脱した人間、すなわち自閉的破壊
主義者として表現しようとした。動物園という名のサナトリウムに隠遁する
現代の若者だ。野生動物を飼育する人間のフィルターを透して現代を描き
たかった。ドロップアウトした人間は決して暴走族や街の不良たちではない。
彼らは夢と現実のはざまですねているだけだ。真にドロップアウトした人間は
したたかな生活力が必要であろうし、また哲学に近いほどの信念を持っている
はずだ。私はこの論理に基づいて小説を書き進めた。もし爛熟した今を告発
できるとすればこれ以外にない。それが唯一の私の方法論だった。
しかし同時に作品は、現代の文明に背を向ける若者を描きながら、それを享受
している自分をも露呈した。恥にまみれた己そのものだった。私はその恥にまみ
れて生きていかなければならない。そしてその痛みの中から生まれる作品を
今後も排出したいと考えている。
|